俳句結社「藍生」***60歳未満の女性の会


by aoi-asaginokai
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ハロウィーン

ご無沙汰している間に、稲刈りが終わり、岩手山に初冠雪があり、今年もあと2か月になりました。
夜10時を過ぎて娘がクッキーを焼き始めました。
明日学校に持ち寄り、ハロウィーンを楽しむのだとか。
「ハロウィーン」は季語になりえるのですよね?
漢字にすると、万聖節になるのでしょうか?

先日、藍生有志の方々にお誘いいただき、小伝馬町の「べったら市」へ行ってきました。
あいにくの大雨で、屋台は賑わってはいませんでしたが、久しぶりのべったら漬け
美味しいです。このところ、私のお弁当に漏れなく入っています。

そして、今度日曜日11月3日は、酉の市。近所の神社に行って、一番小さい熊手を
昨年買ったものと買い替える予定です。
今年は三の酉まであり、火事が多いという言い伝えもありますので気を付けないと。

藍生9月の東京例会は、先生が体調を崩されお休みされました。
藍生の大先輩方が選句され、それぞれ講評。
その講評に意見や感想が活発に交わされ、とても盛り上がりいつもとは違った
例会が新鮮でした。
・・・しかし、10月の例会は日にちを間違い、欠席しまいましたが。

11月の例会では皆さんにお会い出来るでしょうか?
ではまた

菅原有美
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by aoi-asaginokai | 2013-10-30 23:11 | Comments(4)
「明美の農暦」などという思いっ切り個人的なカテゴリを作った直後にPCが完全に壊れてしまい、ここへもしばらくやってくることが出来ずに失礼しました。
(壊れた原因は雷です。皆様もご注意)。
スマホから閲覧はしてたんですが、長文の投稿となるとやはり地道にタップはきついですね。

そうそう、9月に行われた稲刈りの様子をレポートしたかったんです。

さる9月14日、無事稲刈りを終えました。コンバインが主流の昨今、我が家ではいまだに稲架干しにこだわり、バインダーで刈り取った後、手作業で一束一束稲架にかけて一週間ほど天日で干します。

c0308089_1116939.jpg

こんな感じです。
一家総出、夫の兄弟一家や友人もお手伝いに来てくれました。
7歳の息子もバインダーで稲を刈りましたよ!!

c0308089_11201652.jpg


おかげさまでこの日、あっという間に稲刈りを終えることができたのですが、次の日台風で稲架の3分の1が倒れてしまいました(;_;)
自然相手のことですから、仕方ないですよね。
直せば直る!って有難いことです。
ちょっと余分に手間がかかってしまいましたが、一週間後、無事脱穀の作業も終えることができました!!

収穫に至るには、種もみから発芽させ、育苗し、田植えから稲刈りまで幾多の作業を乗り越えなければなりません。
現在はその作業のほとんどを夫の母が担っておりますが、いずれは私もお手伝いできたらいいなと思っております。
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by aoi-asaginokai | 2013-10-14 11:34 | 明美の農暦(伊豆の季節の便り) | Comments(6)
ずいぶんとご無沙汰をしておりました。
皆さまお元気でお過ごしのことと思います。

今朝、岩手山に初冠雪がありました。
急に寒くなったなぁと思っていましたが、西空の雲間から白くなった山頂が現れました。まだ麓は紅葉に彩られているのに、いつもよりずっと下の方まで白くなっていました。
今頃、いつも思い出す石川啄木の歌があります。

  神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

この歌から伝わる冷ややかな空気。まさに今朝の空気でした。つい先日までは、虫の声が盛んに聞こえていたのに・・・。
そういえば、虫がすだく頃に思い出す啄木の歌があります。

  岩手山秋は麓の三方の野に満つる虫を何と聞くらむ
  霧深き好摩の原の停車場の朝の虫こそすずろなりけれ

秋の岩手山は清々しく雄大。特に渋民のあたりから見る姿は一番の美しさではないかと思います。秋も中頃になると、麓の方から紅葉が上りはじめるのが遠目にも見えます。この麓の虫たちの大合唱は岩手山をより雄々しく感じさせます。
啄木の歌は抒情的なものが多いのですが、私は自然を詠んだ歌の方に魅力を感じます。

啄木の歌を諳んずるたび、父を思い出します。子どもの頃よく父の膝の上で聞きました。父も短歌を詠んでおり、地方の新聞に投稿し時々掲載されたりしていました。ただ、子どもの頃父から聞いた啄木の歌はなんだか辛気臭い・・・という印象でした。

  働けど働けどなほわが暮らし楽にならざりぢっと手を見る
  たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

三男だった父は、戦死した長男にかわり母親を呼び寄せて、6人の子どもを抱えて会社員として懸命に働いていました。これらの歌はその頃の父の心を重ね合わせることができるものだったのだろうと思います。

私は18才の時、盛岡に来ました。その時初めて不来方城址に上りました。二の丸から見る盛岡の町は、東西南北をぐるりと山々に囲まれ、その山並みグッとが迫ってくるように見えました。太陽は東の北上山脈から登り、奥羽山脈に連なる岩手山の方へと沈みます。いい街だなと思いました。不来方城址にはかの有名な歌碑があります。

  不来方のお城の草に寝ころびて空にすはれし十五の心

尊大さと繊細さ、傲慢さと卑屈な思いと振れ幅の大きい啄木ですが、澄みわたるような歌が心を捉えます。

  馬鈴薯のうす紫の花に降ふる雨を思へり都の雨に
  愁ひ来て丘にのぼれば名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実
  函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花
  みぞれ降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな

啄木の歌を読むとき、旅にでも出るような心地がします。自分自身の中にある原風景だったり、憧れの風景だったり、そんなものに出会う旅。過去の自分、かつてどこかへ置き忘れてしまった感覚。そういうところへ連れて行ってくれます。啄木の歌を入り口にして自分自身を旅して、またその歌に戻り我に返る、そんな気持ちにさせられます。
かなり以前に新聞のコラムで読んだ韓国の詩人、高銀(コウン)の言葉を思い出します。

「詩のことばは生きとし生けるものの中にある。山や水、風の中にも。私はそれを自分の体に呼び寄せてため込み、再び出してゆくだけ。花咲く野を舞うチョウのように、自然の中にあるものです。詩が私を通して多くの人に伝わっていく。詩人とは、通路のような存在といっていい。世界にはまだ多くの傷ついた魂がある。その一つ一つに寄り添って慰める。詩の役目です。」

啄木そして啄木の歌は私にとっては、まさに通路のようなものです。そして、私の俳句もまた、通路のようであったらいいなと思うのです。
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by aoi-asaginokai | 2013-10-13 23:52 | 俳句徒然 | Comments(6)